営業時間

平日9:00~18:00 

土日はお休みです

お問い合わせ

TEL:0494-62-5846

お問合わせはこちらから

 

ある出来事

ロタ島トライアスロン

Last Saturday, I was finish the triathlon in Rota island of the Pacific Ocean (swim 2km, bike 90km, run 21km).

 レース前日、63歳でトライアスロンデビューの友人(写真右上)は、試泳の前半は海を怖がってほとんど平泳ぎでしたが、後半休みなくクロールで泳げたので、明日の本番は大丈夫と笑顔に。

11月15日朝6時半にスイムからレースが始まります。選手の腕にナンバーを書きます。私も選手ですのでスタッフに書いてもらいます。

スタート前です。同じ色のキャップの鎌形さんとは毎年ウサギとカメの戦いをしています。今年は完敗。

ランは折り返し前の坂800mはすべて歩きました。
とにかく暑くて、エイドステーションでは首筋から背中に冷水を10杯以上掛けてもらっていましたが、最後の3つのエイドではタンクの水をそのまま掛けてもらいました。
制限時間の9分前にゴール出来ました。昨年より45分ほど遅いタイム7時間51分でしたが、完走出来て嬉しかったです。

 初トライアスロン(オリンピックカテゴリー)の友人も完走していて迎えてくれました。
 

甘い香水の誘い

  もう30年くらいになると思いますが、クライアントのお顔が見えない仕事、細かく図面などで指示された仕事や商業ベースに乗った仕事はしないと決断しました。その結果仕事は減り、経済的に苦しい日々が続きました。しかし、徐々に気持ちを投入する仕事が増えてきたバブル期のある日、店舗などの内装を行っている会社に勤める友人から電話がありました。

 

「今、銀座のクラブの内装工事をしているんだけど、ゲートを作ってもらえるかな…」

『銀座って、ホステスさんがいるクラブ?そういう感じの仕事はやらないよ。』

「そんなことを話してたから分かってるよ、でも予算が○百万円と、聞いても?」

『え?!!』

 

僕の鍛鉄で鍛えた心はもろくもグラグラ、グラボロリンと崩れました。

 

 各階にバーや小さなクラブが入っているビルのワンフロアーがそのクラブで、エレベーターを降りると、閉店時は閉ざされたゲートがが侵入者を防ぎ、開店時は左右に開き来客を迎えてくれます。両面が表の門扉を2枚制作しました。

 

 取り付けから3・4年後だったか銀座に行った昼間、合わさった門扉の写真を撮ろうとそのビルに入りました。エレベーターに乗るとまだホステスさんの香水の香りが残っています。エレベーターが目的の階に止まり、ドアが開いた瞬間!まったく見覚えのない路地が現れました。

 鍛鉄の門扉はおろかそのクラブの姿は無く、小さなバーが雑居するフロアーに変貌していました。

 一生懸命制作した門扉は何処に行ってしまったのか?クズ鉄になったのだろうか?(愕然!)自分の信念を崩してはならないと誓い、甘い香りの残るエレベーターの下りボタンを押しましたのを、昨日のことのように覚えています。

 

 


怪我がきっかけに

 とにかく自分は怪我が多い。最近ではスキーで靱帯断絶、工房の崖から転落で肋骨骨折、自転車の落車で鎖骨骨折。

 30代の時にはカッターナイフで左指3本を斜めに切り22針縫った事や、缶のシンナーが爆発しケロイドも覚悟の顔面火傷。ミイラー男のように目だけを残し包帯で顔をグルグル巻きにされた事もありました。しかし、包帯が取れ担当医が『あんた!トカゲみたいだね。』と、言わせたほどの回復。

 その頃はエアーハンマー(圧縮空気で叩く機械)は無く、自分の右腕一本で鉄を叩き続けていましたので、片方のハサミが大きい蟹のシオマネキのように右腕だけが極端に太く、腕相撲が強いのが自慢でした。

 ところがある日、ボディービルダーと腕相撲して負けた時に肩を脱臼してしまったことがありました。肘や手首が慢性的に痛く針を打ったまま鉄を叩いた事もあり、不慮の事故などのことを考えると一人でやって行くことの限界を感じ始めたのです。

 ・・・・・・・・・・・・・

 写真はその頃の作品。右下のバルコニーフェンスを制作していた頃は本当に痛みで辛かったのを思い出します。


リュック背中にヨーロッパへ


 若い人を育て共にやって行こうと決めました。(1989年)

 しかし、先生もいなければ師匠もなく、洋書だけが頼りで独学の自分に、果たして人を育てる技量があるのだろうか…? でも、決意の炎が消えない内にと西ドイツ(当時は東西の壁があり)とスイスの鍛鉄工房を訪ねる旅に出ました。

 それぞれの工房で鉄を叩き、初めて知った治具やハンマーそして新しい技術習得、しかし何よりも自分の心を熱くしたのは、石造りの町並みに鍛鉄の格子に把手や手摺など、鉄は暮らしや住まいに切り離しては考えられないほど融合し根付いており、鍛鉄工芸家は伝統技術を継承しながらも、常に新しいデザインや技法を試みていることでした。それは古典的と思っていた墓地の十字架にまで至っているのです。

 この旅がきっかけで、その後アメリカやヨーロッパの国々の鍛鉄工芸家との交流が始まり、今も各国で開催される鍛鉄イベントに呼ばれています。それぞれが持ち寄った新し技術の相互伝授のgive & takeで常に新しい習得があり、自分の鍛鉄は終わりのない過渡期の旅が続きます。